私は予備校講師として約三十年教壇に立ってきました。予備校では生徒諸君と一定の距離を保って、授業内容を伝達するというスタイルが取られます。多くの生徒諸君と一度に接する、あるいは放送という間接的なコミュニケーションの中で生徒諸君と接するという形態が必然的にもたらしたこの方式には大きなメリットがあって、その中の最も代表的なものは生徒諸君が、「自分で自分を律しないと生き残れない」という状況に置かれることです。安易に助けが得られないという状況の下で自分を磨く経験をすることは、若い人を知的、精神的に大きく成長させます。勿論脱落者も出るでしょう。理想主義者はそういうあり方を非難しますが、私はそのような考えに与しません。かと言って、よく生徒さんから聞かされることですが、何も正しく教えずに、ただ自力で伸びてゆけと言わんばかりの無責任な教育も許すべきではないと思っております。
ただし、多数の生徒を平等に扱うためには、一人の生徒さんと個別に長い時間対応することはできません。全員に同じことができないことは、むしろしてはならないことだと言ってもいいと思います。そういうわけですから、どうしても個々の生徒諸君と、ましてやその親御さんとの関係は希薄になります。その生徒さんの来歴も家庭環境も一切無関係に、同じ情報と刺激を与えていくことが予備校での講師としての私の仕事なのです。
もう一つ、予備校の授業には期限があります。大学受験という唯一無二の目的を持って授業をするため、それに直接関わらないことは全て削ぎ落とすことが求められます。
私はこのような予備校のあり方を肯定的に考えていますが、それは「大学合格」という極めて限定的な目的のための英語学習であって、英語を本当に使えるようにするために必要な知識や考え方が網羅されているかというと、そうではありません。受験生諸君には英語以外にも短期間に習得すべき内容がごまんとあり、英語にかけられる時間・労力は限られているからです。
ただ、このような予備校のあり方は教師としての私自身にはある意味とてもありがたいものでした。削ぎ落とせるものはすべて削ぎ落として最小限に絞り、後は現場で臨機応変に対応する、という思想に基づいて英語を見つめ続けられたおかげで、これだけは外せない英語の核心、とでも言うべきものの全体像が見えるようになったからです。なので、大学受験という短期的で狭い目標を外しても、英語の何を扱えば最小限の知識で必要な英語力が身につくのか、というビジョンが得られました。このビジョンに基づき、英語の核心部分を必要十分にとらえていくお手伝いをするのが、私がこの私塾で行いたいことです。
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