親御様からのお問い合わせを受けて

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先日、中学生のお子様をお持ちの親御さんからお問い合わせをいただきました。他の教科は優秀なのに、英語だけが苦手で、なんとかしたいのだが親子ともその状態に対して根本的な手を打てずにここまできた。英語の面白さがわかれば簡単にできるようになるはずだが、それをどう教えていいかがわからない、というような内容でした。当塾が、手軽に英語の面白さを教えてくれるのではないか、という身に余るご期待を頂いてのご連絡だったと思います。お父様かお母様かは分かり兼ねましたが、とても真剣にご心配なさっているご様子でした。

親御様のご心配は本当に切実に感じましたが、でも正直申し上げて、子を思うあまりに現実から目をそらしていると言わざるをえない点がありました。勿論、その親御様を論難するような意図は毛頭ございません。ただ、折角の機会を与えてくださったので、ここでそのことを少しお話してみたいと思うだけです。

私も(既に成人してその他大勢の一人になりつつありますが)また子を持つ親であり、自分の子供のことは恥ずかしながら誰よりも心配していましたしまた成功を願っておりました。しかも私は教育を生業にする者です。でも、その私がどれだけ力を尽くしても、愚息が常に本人の望む通りの道を歩ませてやることはできませんでした。そのあたりを少しお話したいと思います(息子の許可と同意を得ているわけではありませんので、あくまでの父親の主観ということをお断りしておきます)。

幼稚園の頃から、息子は知性に当たる面以外に、特筆すべきものを持たない平凡な少年でした(親にとってはかけがえのない子です。それは今も変わりません)。勿論知的な面でも、天才的なところは全くなく、親の欲目を除けばごく並の子供だったと思います。父親としての私には思うところがあり、できるだけ幼いうちに息子が一人でどこにでも行けるようになって欲しいと思っていました。それもあって電車通学が必要な私立の小学校に入学させたわけですが、これが彼に与えた影響は、どちらかと言えば否定的なものだったと思います(決して学校が悪かったというわけではありません)。その学校には確かに優秀なお子さんもおいでになりましたが、それに及ぶはずもない息子も、いつの間にか自分もそれだけの才能があると思い込むようになりました。その小学校では有名中学に合格するお子さんが多く、息子もそれに乗せられて受験するといい出しました。勿論、本人には受験のなんたるかが分かるはずもなく、ただ皆と同じポジションを維持したかっただけです。塾に通い始めますが、彼には勉強の意思はありません。当然のごとく成績も伸びず、どこにも合格できない状態が続きました。勿論、できれば合格させてやりたいと思いました。でも、する方法がわからないのです。勉強のやり方は教えられても、勉強するという意欲そのものは与えることができない、と私は正直に告白させていただきます。自分の子供でさえそうです。このままでは受からないことは分かっている。親としては、子供を泣かせたくはないので、できれば合格という結果は得てほしい、と思いましたが、何しろ本人が勉強に身が入らないのだからどうにもなりません。いくら理屈で勉強しないとどうなるかを説いたところで、本人が実感できないのだからどうにもならないのです。なのでそのまま放置しました。文字通り放置です。私がしたことはただ一つ。滑り止めは受けさせないことでした。別に何も強いる必要はありませんでした。本人はそういう学校には行きたくないので、ちょっと誘導すると簡単に「受けない」といい出したからです。超難関私立と国立、まあ受かるわけがないですね。事実全て失敗。こちらとしてはある意味作戦通りでしたが、内心とても心配でもありました。もしこれをきっかけに完全に自信喪失してしまったらどうしよう。公立中学に行って、トンチンカンな発言をして級友を傷つけ、虐められたりしたらどうしよう。不安は尽きませんでした。でも、何もできないのです。繰り返しますが、私は教育業界で禄を食む者です。でも、何もできませんでした。ただはらはらして見守る以外何も。

中学に行き、これも私の思う壺ではありましたが、息子は結構ショックを受けたようです。これまでのような利発さを競うような環境では全くなく、勉強に関心さえない子供さんもいる。勉強が少しできたくらいでは誰にも尊敬されない。それがどのように彼の中で作用したのかは分かりません。ただ、それがちょうど彼の中で自我が芽生えることと時期が重なり、色々精神的に成長したのでしょう。彼はそれなりに勉強をし始めました。一人では続かないからと自分で近所の友だちを募り、私に英語を教えてくれと言うようになりました。高校進学は自分で意図した学校に合格し、そこで募った友だちをまた連れてきて高校3年生の時にも私のところに英語を教わりに来ました。そして結果としては現役で東大に入りました。「東大に入った」という結果だけを見れば世間的には成功です。また、知性以外にたいした才能を持たないであろう息子にとっては、単にブランドとしてではなく、知的刺激をより受けやすい環境である東大に入れたことは良かったのは間違いのないところです。でも、「どうやって息子さんを東大に入れたのですか」という質問には私は答えられません。私としては、彼が自らの意志で歩き始めるのをただじっと待っただけです。小学校の時にうるさく言ったのは、計算と漢字の書き取り、特に訓読みだけです。あとは求められた時に英語を教えたこと。私が英文法講座で受講生の方々に教えるのと全く同じような内容です。中学生の息子とその同級生がそれを理解したのですから、それは難しい内容ではありません。彼らが求めるなら、私はその求めに応じて与えられる知恵と道具を持っています。でも、彼らが何をすれば求めるようになるのかは私には全く答えがありません。私はただ、小学校で一人で電車通学をさせた時から、いざという時は自分で考えて行動することを求め続けました。いずれは一人になるのだと、私はいなくなるのだということを、押し付けがましくならない範囲で伝えるようにはしていましたが、それが効果があったのかどうかも私にはわからないというのが正直なところです。

ただ、一つはっきりしていることがあります。例え親と言えど、子供の人格を変えることはできないということです。だからどこかで突き放すしかない。親が先回りをしてお膳立てをしても、子供さんは踊りません。いくら親が子供の自主性を取り繕っても、本当の自主性でない限り続きません。そして続かない限り、その子供さん本人がその報いを受けるのです。親である我々は、わきまえなくてはいけません。我々の方が先に死にます。死んだら何の手出しもできません。だから、どこかで突き放し、子供の復元力に期待する他はない。覚悟を決め、腹をくくらなくてはなりません。心配し、悶々とし、はらはらし、もどかしさに気が変になりそうになる。それが親の勤めなのです。親たるもの、それをしなくてはならない。それがこの世に産み落とした者の果たすべき最大の義務です。だから私は、たとえ中学生と言えど、本人の意志で当塾の門を叩いていただきたいと願います。牛に引かれて善光寺参りとも言いますが、そういう子供さんをお預かりして魔法のようにやる気にさせる力は私にはありません。ただ、もし中学生・高校生をお預かりするとしたら、息子に対してやったのと同じように、持てる全ての力を注ぐことはお約束します。でもそれは、自分からやってきた場合、という前提においてであることをご理解いただきたいと思います。

勉強は決して楽にできるようになるものではありません。面白さがすぐに分かるほど容易なものは、それだけ底が浅いものです。本当に奥深いものは、そう簡単に秘密の花園には入れてくれないのです。本人が、本当に入りたいと思い、それに対して力と尽くすことを厭わないようにならなければ、何も真実の姿をうかがい知ることはできません。そこまでして知りたいのか、どうか。結局はここに尽きます。最初に「やりたい」と思うことはほとんど誰にでもできます。問題はそれを継続できるかどうか。誰でもできることではないからこそ、やり切った者にはそれに相応しい能力と場合によっては栄誉が与えられるのです。誰でも手に入る楽しみなら、ディズニーランドに行けばよいのです。並びさえすれば、順番が来さえすれば誰でも楽しめます(決してディズニーランドの楽しみを貶める意図はございません。その点はご理解を賜りますように)。でも、この世界にある秘密の多くは、たかだか数千円の入場料と数時間の待ち時間では手に入るものではありません。それだからこそ価値がある。そういうことが実感でき、興味を持てるなら、ぜひ自ら当塾の門を叩いてもらいたい、と全ての中学生・高校生の方に伝えたいと思います。そして親御さんとしては、ご心配でしょうが、あなた様のもとに生まれてこられた子供さんですから、きっと大きく花開く時が来る、そう信じていただいて、励ましと刺激を与えるにとどめ、無用な口出しと甘やかしをぐっと堪えるという仕事をこれからもお続けいただきたいと心より念じております。