門戸を叩いてくださる先生方

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2016年11月執筆:

先程のツイッターの方に限らず、最近は何らかの形で英語の指導に関わる人が扉を叩いてくださるようになりました。これは、とても心強いことです。自分の仕事にプライドを持ち、一方で人の教えを請う謙虚さも忘れない。これは私自身学ばなくてはならないと常に思っている態度でして、そういう人達を見ていると、頭が下がります。でも一方で、英語を教えるという仕事に就いていながら、申し上げにくいことですが、英語に対する見識がまだ不十分、という方も見受けられるのが現状です。当塾に来て勉強しようという熱意をお持ちの方でさえ、そういう面があります。況やそれ以外の方をや、であると想像せざるを得ません。折しも文部科学省の調査で、高校の英語教師のかなりの割合が、英検準一級のレベルにも到達していない、という報道がありました。英語そのものの能力に関してもそうなのですから、「教える」ことに関して、世の「先生」方の現状は推して知るべしだろうと想像します。公教育でもそうなのですから、特に資格の要らない塾などの現状はどれほどのものか、想像するだに背筋が寒くなる思いです。勿論、現状でも優れた先生は数多くおられるとは思います。ですが、現状のままでいいと思えるほど私は楽天家にはなれません。

けれども、私は批判を目的として行動する気はありません。いくらかでも将来の日本の英語教育を良くするために、力を尽くそうという方々と、その意志をともにしたいと願うものです。ですから、現在英語教育に関わり、あるいは今後英語教育に関わる意思をお持ちの方には、ぜひ一度当塾にご参加いただきたいと申し上げておきます。「授業の授業」もですが、できれば英文法の授業から是非ご参加いただきたいと思います。誤解のないように申し上げておきますが、何も私は自身を一歩上の立場に置いて(今流行の言葉で言うなら、「上から目線」ですか)、皆様を教え導こうなどという僭越なことは考えておりません。私は私なりに、教師として30年英語に向き合ってきました。その中で私が紡ぎ出した方向性が、今ようやく一つのまとまりとして提示できる程度に形を持つようになったまでです。勿論それは私のアイデアではなく、英語という言語が内包しているものですが、絶えず外から人々が流入してくる英国という風土で育まれた学習性と適応性の高い英語の論理には(単語の綴りと発音の関係を除き)、極めて統一的で美しいとも言える整合性があると感じております。それを私なりの表現方法で多くの方にお伝えし、それを利用して、それぞれの方の中に、自分にとって統一的で整合性の高い英語の論理を構築していただくこと、それが私のたった一つの願いです。

ですから、授業を受けていただき、その上で時間の許す限り議論をしてもよろしいのです。それによって、我々日本人にとってより合理的で無理のない英語理解が可能になるための議論なら、いくらでもお付き合いします。私自身は「勝った負けた」には既に興味はありません。自分たちがよりよい仕事をするために膝を詰めて話し合うこと、それが日々の研鑽につながるのであれば、どれだけの見解の相違も私は気にはなりません。ぜひ多くの人のご参集をお待ち致します。