受講料のこと

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こうして小さな塾などやっておりますと、ポツポツとではありますが、新規受講のお問い合わせをいただくことがあります。その時、せっかくお問い合わせ頂いても「お金の問題」があってなかなか受講に至らないことがあります。英文法講座、諸々合わせて16万円(対面受講の場合)と言われれば、確かにそう簡単に決断できない金額であることはわかります(金額をお伝えした途端に、返信がいただけなくなるのは悲しいことですが)。

けれども、私にも明確な考えがあって、この金額を設定させていただいているのだということはご理解いただきたいのです。一つは、受講生の皆様の本気を知りたいということがあります。世の中にはただでいろいろな情報が手に入る手段があります。勿論そういう情報が全てダメだなどと申し上げるつもりはありません。大体、実際のところはただの情報などありはしないのです。昔から民放の放送局はCMを見せることと引き換えに無料で番組を提供していますが、その宣伝効果は絶大であること(最近は新しい媒体のせいで苦しんでいるようではありますが)は言を待ちません。つまり、その番組を見ている人は、見たCMに意識的・無意識的に影響を受けて何らかの購買行動を起こし、結果的にその情報の対価も支払っているということです。こうして結果的には金銭を支払うのですが、情報の享受者は一見無料で情報を得られ、かつ情報の提供者はそれなりの報酬を得られるのですから、ある意味では両者にとって幸福な関係だとも言えます。ですがここには二つの危険が入り込みかねません。一つは情報提供者が真に有益な情報を流すという保証が全くないことです。先程私は「タダだからといって情報の質が悪いとは限らない」と申しました。その通りです。そしてそれが問題なのです。情報の質が悪いとは限らない、というのは同時の情報の質がいいとは限らない、ということを意味しています。一番の問題はここです。こういう形で流されている情報が質の高いものなのか、そうでないものなのか、俄には判断できないのです。しかも困ったことに、教育の情報の場合、その情報の良し悪しは享受者、つまり受講生には判断できません。そういう教育を受けようと思う人々は、その教育内容に関する見識を持ち合わせていないので、指導される内容の質が高いのかどうか判断できないのです。だから、せっかく授業を聞いても、何の役にも立たない可能性があります。もう一つの問題は、享受者側の真剣味の問題です。いわゆるテレビ放送を聞き流しておられる方はかなり多いと思うのですが、お金を払って映画館に映画を見に行った時はどうでしょう?他人に迷惑かどうかの問題はともかく、お金を払って映画鑑賞中にスマホに夢中という人はいないでしょう(映画がつまらなければ別ですが)。当塾の授業料が決して安くないのは、そういう受講者様のやる気を確かめたい、という面があります。高いお金を払っていれば、そこで得られる情報を疎かにせず、もしその内容に不満があればそれを私にぶつけてくださるでしょう。私の方もそれだけの緊張感を持って授業に臨めます。

高い受講料を頂くもう1つの理由は、無料の情報の二つの危険性のうち、最初に指摘させていただいた情報の質に関するものです。先程も指摘させていただいたように、この世界には今情報が溢れていて、その質も玉石混交、溢れる情報の何を信じていいかがわからない始末です。勿論私も英語のこと以外に関して、皆様より優れた目を持っているわけではありません。ですが、こと英語に関しては、これまで自分が身につけてきた知見に一定以上の自信があります。そして、英語を通じて私が世界にお伝えしたいと思っているものの考え方は、優れて洗練された方法だと自負しております。それを当塾では出し惜しみせず、全て余すところなく受講生の皆様にお伝えしたいと思います。

話が脱線しますが、スイスの超高級時計がなぜ1つ5億円もするのかという話を聞いたことがあります。時計作りの修行は10代半ばに始まり、一人前になるまでに10年以上の歳月を要するそうです。勿論、なろうとした人が全員一人前の職人になるわけではなく、そこまでの修行に耐えられた者だけが一人前になるわけです。でも、一流の職人になるにはそこからさらに10年の研鑽が必要になるといいます。そこでさらに脱落者が出て、やっと一流と言われる頃には30代なかば、そしてその職人が最高の時計を作るのに1つ1年かかるとすると、40歳までに作れる最高の時計は5個です。その後は老眼で視力が衰えるのでそこまでの仕事はできなくなる。別の言い方をすれば、その職人はその5つの最高の時計を作るために一生を費やしていることになる。それを全部5億円で売っても25億。その職人の一生をその金額で買うのと同じことだ、というのです(話にちょっと出来過ぎ感があることは、まあお話ですからこの際措きましょう)。

勿論私は自分を一流の時計職人になぞらえるほど厚顔無恥ではありません。英語に関しても、知性に関しても、私などを遥かに凌ぐ優れた人々は様々な世界におられるのかもしれません。でも、私は私なりに、これまでの時間を使って英語というシステムを観察し、それを扱う過程でより一般性の高い思考のための幾つかの鍵を見つけ出してきました。それを誇りを持って次の世代の方にお渡ししたいと思うのは、決して驕りではなく、人間として持つべき最低限の矜持であると考えています。勿論私は、私の過去に対する支払いを要求しているのではありません。私の現在、私の未来に対して、受講生の方々との真剣勝負を通じて得られる成果のために、それにふさわしい対価をお願いしているのです。

まだまだ言い尽くせないところはありますが、当塾の受講料が安いとはいえない事情は以上のようなものです。覚悟をしてお支払をいただき、そして期待してお越しいただきたい、と思っております。どの受講生の期待も越えることが、私の果たすべき最低限の仕事です。

私は、大切なあなた様の、あるいはあなたのお子様の未来をお預かりするのです。その自覚がなければ、このような仕事はできません。ですから当塾の門を叩かれます時には、大きな覚悟と、大きな期待をお持ちいただきたいと思っております。