「文法」とは何か

Pocket

英語に限らず、語学の基本は「文法」です。これは言葉を組み立てたり、解読したりするときに使う一定のルールで、一度理解してしまえばその語学を使うのに困らなくなる知識と知恵のことです。

私がこれまで英語と関わってきて最も強く思うのは、少なくとも日本では「文法」というものの意味が全く理解されていない、ということです。ありとあらゆる表現を無軌道に覚えていくことは、文法の勉強とは何の関係もないただの苦行です。もちろん一つの言語として完成され、自在に意志を表現できるように作られたルールですから、それなりのボリュームはありますが、決して「いくらやってもきりがない」「無意味な暗記を強要する」ものではありません。それは下手な勉強、下手な教え方、教わり方の産物です。正しい姿の英文法とは、誰でも一定の努力をすれば理解して運用できるようになる、コンパクトで統一されたシステムです。一つのことを知れば、それを数多くのことに応用し、未知の経験にも対応しうる言葉の理解の根幹、それこそが本物の「文法」です。私がこの私塾を通じて伝えたい「文法」とは、そういう確固としたシステムとしての英文法です。

もう一つ、「文法」はルールであり、その意味ではある種の「知識」ですが、単にそれを記憶しておけばいいというものではありません。世の中の全ての「知識」がそうですが、そのルールを上手に使うには、「知恵」というもう一つの道具が必要です。知恵は知識と違って明確な形や言葉を持ってはいません。でも、いつでも緩やかにこの世界を支配し、人々の行動の巧拙を決定づけています。しかも「知恵」は特定の知識と結びついていないため、一つの知識を学ぶことを通じて高められた「知恵」は、後で他の知識を学習する際にも役に立ちます。しかも上に述べた通り、知恵は定型的な言葉で表現できるような類のものではありません。実践を通じて身につけていかなくてはならないものです。教科書を読んだだけでは勉強という行為が完成しないのは、無形の知恵を身につける行為を実践なしに行うことはできないからなのです。私が私塾を作ってまで本当に伝えたいことは、人間にとって普遍的な価値を持つ「知恵」です。

このような「知恵」を学習する上で、英語は格好の科目だと思います。なぜかというと、「外国語」だからです。考えてみてください。今私がここに書く文章をすらすら読んでいる皆さんは日本人ですね。つまり、既に日本語という言語がインストールされた状態にあるわけです。その状態で英語という外国語を勉強するには、日本語と英語の違いを明確に意識した上で、英語を扱う時には、無意識に日本語的に考えようとする自分を意識的に押しとどめ、英語という外国語のルールを意識的に使うことが求められます。このような複眼的、並列的思考は人間の知恵を高めるのに大きな効果があると考えられます。

個人的には、だからこそ英語は中学校・高等学校の教育にとって重要なのだと思っています。自分にとって当然のものを無意識に使ってしまうと間違える、という経験は、極めて衝撃的ではじめは受け入れがたいものです。異質なものを受け入れるのは、抵抗があるからこそ刺激的な経験であり、それを経ることによって単に知恵を身につけるのみならずより広い視野を手に入れることができます。その結果、語学以外でも異質なものに対する受容力が上がり、様々な新しい知的経験をできるようになることでしょう。では、大人になってからでは語学学習は難しいのでしょうか。確かに、固定観念が強まるに連れてハードルは上がります。でも、それゆえに自分を揺さぶり、知性の若さを維持向上させるには、そのハードルはきわめて有効だと考えます。

私はこれまでの経験を通じて、最もコンパクトで、最も統一性があり、融通がきいて実用度の高い一般向けの「英文法」の形を整理してきました。これは、学者の先生方が追求されている英文法ではありません。言語学的な厳密さや緻密さを追求したものではないとはっきり申し上げておきます。でも、実用性は最も高いのです。英語圏に生まれれば、大体五歳くらいで英語の文が普通に話せるようになります。五歳の子どもたちには言語学は理解できないにもかかわらず、です。我々が外国人として英語を上手に使えるようになるために必要な知識は、まずそこにあると私は考えます。

その具体的な全貌を知りたい方は、ぜひ授業に参加していただきたいと思います。

興味を持たれた方は下記メールアドレスまでメールでご連絡ください。

seishin@tomita-english.com