なかなか塾長のつぶやきを更新できず、申し訳ございません。それほど千客万来で暇がない、ということであればよいのですが、なかなかそういうわけでもなく、本人としては忸怩たるものがあります。
当塾ではどのような講座を受講していただくためにも、その前提として英文法講座を受講していただくことをお願いいたしております(授業の授業は除く)。といいますのも、ルールを習得し、それにある意味「縛られる」ことで、能力が飛躍的に高まるからです。
私は普段大学受験生を主に相手にしておりますが、大学受験では、学生諸君は自分の行った思考や記述した言葉が、正しいかどうかを(その過程はともかく結果としては)知ることができます。合格・不合格という明確な基準があるからです。大学入試センター試験に至っては、模範解答が公表されていますから、それに照らせば自分のした判断が正しかったかどうかは知ることが可能です。けれども、それ以降は、そういう判断をしてくれる誰か、は存在しなくなります。例えばどこかである英文を読み、そこで読み取った内容が、原著者が書き表したかった内容と同一であるかどうかは、誰かに判断してもらうことができません。たとえ全くの誤読をしていても、それが正しいかどうかを確かめるすべはどこにもないことになります(例えば原文を翻訳してある日本語を参照する、というアイデアはありますが、それであっても自分の採った行動が正しかったかどうかまでを判定することはできません。言われている内容が同じかどうかくらいはわかりますが、何がどう違うのか、なぜ違うのかがわかりません。もしかすると翻訳が間違っている可能性もありますが、それも判断できません)。
ところが、英文法のルールを正しく認識すると、それが自分でできるようになります。このルール、詳しい内容は授業でしかお話できませんが、天網恢恢疎にして漏らさずを地で行くようなものでして、緩やかで大雑把に見えて、全てを綺麗に包み込んでくれる力があります。それに従って読み進めていけば、自分の主観や「読みたい内容」とは関係なく、原著者が伝えようとした内容が正確に読み取れるようになります。
ただし、英文法のルールは例えてみればサイズがピッタリの礼服のようなものです。感覚的に言うと、ちょっと窮屈なんですね。それで、これを嫌がる人がいます。そういうルールを無視して読むことを「自由に」読むことだと勘違いされているのです。それは「自由」とはなんの関係もありません。身も蓋もない言い方をすれば、ただのでたらめです。そういう「読み方」をしている人々は単語の意味(とご本人が思い込んでいる訳語)をつなげて、なんとか意味の辻褄を合わせようとします。確かに、言葉と言葉のつながりをでたらめに(自由に、ではありません)決めていっても、それなりに辻褄の合う内容にはなるかもしれません。でも、それはとても危険なことです。変な話ですが、今申し上げた「でたらめに繋いでつじつまを合わせる能力」が低い人の場合、問題は大きくなりません。その人の言っていることは大概間違っているわけですから、間違っていると思いながら聞けばいいわけで、それほど大きな問題にはなりません。困るのは、辻褄合わせが上手い人です。この人の翻訳したものは、もっともらしく見えます。ある程度は正しいことが言われています。ところが、必ず数%の割合で間違いが潜んでいます。しかもその間違いがどこに潜んでいるかわかりません。
間違いがあるに違いないのに、どこにあるかがわからない、という状態が一番恐ろしいと思います。例え話を一つしますと、OCRという、画像の中にある文字列を認識してテキストに変換してくれるソフトウェア(最近はアプリ、と呼ぶほうが馴染みがあるでしょうか)があります。これ、昔は識字率がとても低く、単語5つあると1つは間違っているというような有様でしたが、ある意味これは便利なソフトでした。自分で全部打ち込むより、それで認識してもらったものの間違いを探すほうが楽だったからです。何しろ間違いはあちこちにあるし、間違っていると思えば良いから、間違いも見つかりやすかったのです。ところが、OCRの識字率が99.9%になったあたりから、このソフトは使い物にならなくなりました。この識字率だと1000文字に1文字間違っている勘定になるのですが、1000文字に1文字では、見つけるのはとても困難です。間違いが目立たないので、果たして全部間違いを見つけ出してあるかどうか、いくら推敲しても確信が持てないからです。それも英語の場合、ofをifに間違える、というようなスペルチェッカーにもかからないようなものがかなりあり、結局はミスのある文書を世間に撒く役にしか立ちませんでした(これはあくまで、私が個人的に知っているOCRソフトに関する経験です。決して現在販売されているその種のソフトウェアを貶めるものではございません。その点ご理解いただきますように)。
今、AI翻訳が急速に進歩しています。ということは、いずれOCRと同じような間違い率になると考えられます。これは実に恐ろしい。今は例えばGoogle翻訳でも、間違っていることを前提に、意味の大筋がわかればいいと考えて読むでしょうからひどい翻訳でもそれほど問題にはなりませんが、翻訳の正解率が上がれば上がるほど、どこかに潜む決定的な間違いを見つけにくくなります。しかも例えば日本人がAI翻訳で自分の書いた文章を英語にした場合、その英語が正しいかどうかを見極める英語力は本人にはないわけで、するととんでもなく間違った内容を世界に広めていても本人は気づかない、ということになりがちです。
先日、受講生のお一人である、ある分野の専門家の学会発表の翻訳をお手伝いしました。もちろん翻訳を手伝う私の方にはその専門領域の知識が何一つありません。受講生の方は、まだ英語が十分に扱えるところまではいっていません。そこで、授業形式で対話しながら翻訳を仕上げました。すると、もともとご本人がご自分で英語に直されていた中に、その方の真意とはまるで違う内容を伝えてしまう部分があることが発見されました。私がその英語をよりわかりやすく正確に直すために、そこの意味を確認したところ、全く違うことだったのです。そこで、ご本人の表したい内容を日本語で私に解説していただき、その理解に基づいて英語にすると、より良いものができました。AI翻訳であれ、翻訳サービスであれ、この時私とその受講生の方が行ったような作業は致しません。すなわち、恐らくそういうサービスを利用されている多くの専門家の論文には、とんでもない間違いが潜んでいる可能性があるいうことになります(翻訳サービスの有効性に関しては、私は正確な情報は持ちません。決して他業種の方を貶める意図はないことはご理解いただきたいと思います)。専門家の方との専門分野に関する突っ込んだ議論がなければ、門外漢の私にはそれを真意通りの英語にすることはできなかったはずだからです。
もちろん、私は翻訳サービスは行っておりません。私がその方の作業にお付き合いしたのは、いずれその方が自分一人の力で自分の伝えたい内容を正確に英語にできる力を身につけるお手伝いになると思ったからです。もし純粋なサービスとしてそういう翻訳業をするのであれば、莫大な金額の翻訳料をいただくことになるでしょう。
専門家として海外に情報を発信される方にとって、英語力は莫大な費用分の価値があります。外部に翻訳を依頼しても、その結果が正しいかどうかを検証できないのでは、大事な論文を無校正で発表しているようなものです。
もちろん、専門家の方は、いやどのような分野であれある分野で活躍されている方は、無限に英語の学習に時間を割いている暇はないでしょう。だから私は、二年ください、と申し上げるのです。二年間、英文法中心の英語の学習を続ければ、後は大抵のことは自分でできるようになります。その二年間では、何より英文法というサイズピッタリの礼服を着慣れていただくことを心がけてほしいと思います。最初は窮屈です。無駄に見えることもあるかもしれません。でもその窮屈さが支えとなって、無軌道ではないが緩やかに動ける、つまり本当の「自由」を手に入れられるからです。
現在、決して多いとは申せませんが、私のもとで英語の勉強をしていただいている方がおられます。個人的にはとても頼もしいと思います。できることならばもっと多くの方が、きちんとしたルールという礼服を身にまとった上で、英語を自分の武器として世界に重要な資産を提供できるようになっていただくことを心から願っております。現在の英語の能力は特に問いません。苦手でも結構です。ただ、一度取り掛かったら2年位は真剣に付き合うつもりでお越しいただきたいと思っております。
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