日本で英語教育を語る時、常に言われることが「英語の勉強は、いくらやっても役に立たない」ということです。教育機関に関わる一人として、これほど悲しい言葉はありません。
自動車教習所と比べてみましょう。自動車教習所は、自動車運転の技術を身につけるための学校ですが、一度免許を取ってしまえば、別の免許が必要にならないかぎり、人々が二度と自動車教習所に通うことはありません。教習所にとっては残念なことかもしれませんが、人々が二度と自動車教習所に通わないのは、教習所は運転に関して必要なことを正しく教えており、その技能は実際に運転する時に役に立っているということを最も雄弁に示しています。人々は教習所で教わった技能を利用し、実際の運転という経験を経るだけで自分の技術を磨いていくことができるのです。
翻って、英語はどうでしょうか。ここ日本では、どんなに遅くても中学校に入った時点から最低三年間、英語の勉強を学校でします。高校に進学すれば、また三年間。合計六年間は英語を勉強します。ところが、多くの人々は、ほとんど英語ができるようになっていません。多少単語を知っていたり、挨拶程度のやり取りはできるとしても、日本語を使うのと同じように英語を使うことはまずできません。高校や、大学の受験の時期に、無理やりドーピングして試験に合格しても、大学に行ってから英語でまともな論文を書くこともできません。
ここから分かることは何でしょうか。自動車教習所と比べてみれば答えは明らかです。中学校でも、高校でも、ちゃんと英語を教えていない、従って必要な技能が身についていない、ということです。最近はより長い年月英語を教えればできるようになるだろうと考えてか、英語教育を前倒しして、小学校から始めることが流行しています。でも考えてみてください。正しいことを教えていないのに、年月だけ伸ばしても、成果が上がるはずがないのです。
こんな不毛なことは、もうやめなくてはいけません。ところが、世の中には批評家はあふれるほどおられますが、実際に手を打とうとする人はあまり多いとは申せません。だから私は、私塾を始めることにしたのです。正しい英語学習の基本は「文法」にあります。それについては別項目で詳述しますが、その信念に基づき、英語の勉強を「卒業」できる英語教育をここで行いたいと思います。私は決して、英語の勉強はこんなに簡単、ちちんぷいぷいほらもう出来た、などという甘言を弄するつもりはありません。英語を我が物にするには、一定の知性と、知識と、忍耐が求められます。けれども、その過程を弛まず踏んでくれれば、英語を勉強するという段階を卒業し、英語を使い、それを生かしていくことができるようになると思っています。そして、この「私塾」を卒業したということそれ自体が、それだけでその人物が一定以上の英語の使い手であることを示す指標となれるような塾にしていきたいと願っております。
無駄な苦労は嫌いだが、必要な苦労を厭わず、英語力を自分の一部だと考えられる程度にまで自分を高めたいという意志をお持ちの人々、特にお若い人々が集っていただくことを心より願っております。
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